加賀ロータリークラブ 創立50周年記念誌

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- 創立50周年記念座談会
創立50周年記念座談会
「チャーターメンバー 3名に
よるクラブ創立時の思い出」
令和5年11月8日 フジセイカ応接室
チャーターメンバー
吉田幸雄氏、竹内正治氏、三谷峻平氏
澤野(司会・記念誌委員長)
本日はチャーターメンバーである大先輩のお三
方にお集まりいただき、創立当時のさまざまな
思い出やご苦労をお話しいただきたく存じます。
吉 田 49年 前 の
11月に片山津の矢
田 屋 の2階 で、29
人全員が寄って創
立総会をしたので
す。それ以後、認
証前の仮クラブ
として矢田屋の竹
翠荘で例会を毎月
しました。何も知
らない者ばかりが
吉田幸雄さん
寄 っ て。 そ の と
きの会長が泉健三さんです。泉さんは立派な人
だった。約束事にも全てに厳しく、紳士だった。
竹内 当時は既に山中を含めた加賀市には加賀
ライオンズクラブがありましたが、青年会議所
の出身者が中心となって新たにロータリークラ
ブをつくろうではないかとなりまして、その経
緯に関しては、三谷さんがよく中心的に頑張ら
れたこともあるのでご存じだと思うのです。
三谷 50年前の話だから、記憶、だいぶぼけて
きている(笑)
。ともかく話があったのは、小
松ロータリーの方から商工会議所を通じてつ
くってくれないかと。当時はロータリーといっ
たら、松下幸之助とか藤山一郎というような人
が東京で動かしていたので私も相当雲の上のこ
とだと思っていたのですが。とにかくJC母体で
いいから世話人をつくらなければいかんと。ま
ず、山代地区、それから片山津地区、大聖寺地区、
動橋地区で準備会をつくろうと。
西川(実行委員会総務部会長)それが29人だっ
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たんですね。
竹内 いや、先ほど言った仮のときが29人で、
認証伝達式のときには41人か42人いた。そう
いう経緯で始まったが、既にライオンズがある
のにいまさら若い衆がロータリーとは何事やと
いう抵抗をちらっと聞いたことがあった。
吉田 内部でも、JCメンバーの方々の主体で始
まったものだからどうしてもその色が濃く、JC
出身ではない方たちとの関係で苦労もしたし、
また、お金がなかったことにも苦労した。何と
かチャーターナイトまでにはメンバーを集めな
ければいかんということで大変だった。
澤野 ありがとうございます。
では、これまでの活動の中でも非常に思い出に
残っているような印象深いことがあれば教えて
いただければと思うのですが。
吉田 加賀市中央公園が山下力市長のときに出
来たがまだ木もなく理事会か何かで桜を植えれ
ばどうだとなって。例えば息子が大学へ行った
ら、結婚したら、一人1本植える。そういう事
情も書いた札を付けて、年に1回か2回肥料も
やって。そういうことで、九百何本までいった
のです。それで、千本桜にしておこうと。
竹内 私も一番印象に残っているのは中央公園
の桜事業ですね。
「ああ、やったな」という痕
跡を含めた実感として。今でも銘板がまだ落ち
ずにある桜もありますしね。あと、有名講師を
招いて17回ぐらいまで続いた市民文化講演会。
文化事業として立派な行事だったと思います。
三谷 国際奉仕委員会で交換学生を結構続けて
きましたね。おかげさまで、うちの娘もアメリ
カへ行くことになりましたし。それから米山、
ロータリー財団もありましたし、結構そういう
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